サメと猫

秋の月、猫の人

中秋の名月。「綺麗」という感想より、「明るい」が先に頭に浮かんだ。もちろん綺麗だけど、普段の柔らかい明るさの月の方が好きだと思った。眩しいのは太陽で十分。

周りでは内定式の人がちらほら。みんな次に進んでいる。一学年のズレが妙な焦りを生んでくるのにはもう慣れたと思っていたけど、改めて目の当たりにするとやっぱり焦るな。自分は次に進めるのか。というより、良い進み方ができるのか。なんて言ったり考えたりはするくせに、何もやれてない。何もできない奴が何もやらなかったら無と同じじゃないか。考えるのも嫌になるな。こういう時は何考えても良い方向に進まないから明日また考えよう、なんて思ってもそれは先延ばしにして逃げているだけに思えてスッキリいかない。深夜はネガティブになるととことん落ちるな。

猫が凄い勢いで顔とか体を擦り当ててくると、嬉しくて愛おしい。愛情表現。懐いてくれてるんだなと。でもそれは人間のエゴなのかもしれないと思うこともある。猫を飼っていた頃、帰宅すると勢いよく駆け寄ってきて、鳴きながら足元をスリスリしてきて、そのうちそのままバッグやら、テーブルの脚やらにもスリスリしていた。これは自分の匂いをつける行為なわけだけど、そうなると俺はただ縄張りの中の所有物としてマーキングされているだけ...?エサをくれて、気持ち良いところを撫でてくれる有用な所有物にはとびきりしっかり自分の匂いを付けておこう。みたいな?卑屈すぎるか。

いや、たとえそれがエゴだとしても、猫との友情を信じたい。たとえ猫に役に立つ所有物として認識されていたとしても、それすらも愛おしく甘んじて受け入れてしまうくらい猫が好き。猫好きってそういう人ばかりでしょ?猫を飼うというより、猫に尽くすって感じ。人には尽くす気なんて全く湧かないんだけどな。いやもしかしたら、そういう気質が隠れてるのかもしれない。俺も猫になりたい。