サメと猫

諸行無常

俺は基本、文化的に生きられる限りずっと死にたくないと思っているんだけど、この前会社に向かう道中、ふと自分がずっと心身健康でいられる保証なんてなくて、何かで腕を失ったり、歩けなくなるかもしれないと想像した。そして、そうなること自体よりも、その先も生き続けることに恐怖を感じた。今までできていたことが一度にできなくなる恐怖。物理的、精神的喪失に自分は耐えられるのだろうか。

その恐怖は、死に対するそれよりも遥かに近く迫るように感じられ、想像自体に抵抗感が伴った。単純に、死よりもイメージしやすい、現実性のある想像だからだろう。(実際にはどちらも可能性的には変わらないのかもしれない)

今思い返すとあまりしっくりこないのだけど、もし体の一部を失ったらという想像で気分が落ち込み始めたその時、そうなったら死のう、と思った。気持ちが楽になった。死ねば喪失を味わわずに済むんだ。

あまりに軽率な考えだ、自分でもどうかと思う。まともな人に話せばすぐに複数の観点で叱られるだろう。だけどその時の自分にとっては、なにやら目前に迫るような恐怖をすっと心から取り去ることのできる新たな発想のような感覚だった。

実際にそんな状況が自分に訪れた時、死を選ぶことができるのかといわれれば、多分(絶対)できないと思う。弱い人間なので、相変わらず死にたくないと思う。生きるのが辛くとも、死ぬのは怖い。

それは先に書いた変な発想をしたすぐ後になって冷静に考えたことであり、自分は死の救済的な側面だけを利用して自分の心を誤魔化したんだなあと実感し、それがとても不健康な方向だと思いつつ、でも少し逞しさを感じたりして、なんとも言えない気持ちで歩いていたら会社に着いた。

 

育ち盛りと鴨だしそば

3月に買った鉢植えの木が、最近ものすごい勢いで新芽を伸ばし始めている。

月橘という植物なんだけど、5月~6月が成長期らしい。

朝窓辺に移動させて、夕方仕事が終わって元の場所に戻す間でも結構成長しているし、なんなら夜寝て朝起きたら葉が開いていたりする。

買ったときはここまで愛着がわくとは思っていなくて、木目調の家具しかない部屋に彩りをというつもりでふらっと植物屋さん?に寄った流れだった。

しかしいまは毎日異変がないかチェックするし、2週間に一度ちゃんと肥料をあげている。あんまりデカくなられても困るし、べつに肥料をあげなくても枯れないんだけどね。

多分わが子に、「いっぱい食べろよ~!育ち盛りなんだから!」とご飯を沢山よそう親の気持ちなのだ。栄養をあげたくなってしまう。だって目に見えて育っているから。

 

 

先日、ずっと恐れていたことをやらかしてしまった。在宅勤務中のミュート忘れ。

研修で課題を解いているあいだ繋いでおくもので、同期数人グループの部屋だったからまだよかったが、いつもめちゃくちゃ気を付けていたのに、なぜか解除されたまま1時間弱気づかなかった。

それ自体はいい、どうせ黙々とコードを書いてるだけだから。普段は。

よりによってその日は彼女が来ていて、ちょいちょい会話していた。

ミュート忘れと、それを20分前に教えてくれている同期のチャットに気づいた時は青ざめたし、普通の会話しかしてないはずなのに、なんかやばい話してないよな???とめちゃくちゃ記憶をさかのぼって、その日の残り1時間の勤務は手につかなかった。

会話筒抜けになっていた間に話した内容にいくつか心当たりはありながらも、何聞かれたんだろうと怯えて翌日出社したら、同期からは

「めっちゃそばの話してたねw」

と言われた。

そば。そばか~~、そばの話したな~、カップ麺の。

鴨だしそば食べてて、

「お揚げがないのがなあ」「でもつくねみたいの入ってるじゃん」

とか話してたな~~~。

思ってたよりどうでもいいけど、それはそれで恥ずかしい。

もう職場で鴨だしそばは食べれない。

 

(追記)この前忘れてて普通に食べた

ゆっくり歩け、たくさん水を飲め。

「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め。」

 

最近知った、好きな言葉。

村上春樹アフターダークという小説に出てくる、背の高いトロンボーン奏者の青年が言っていたセリフなんだけど、はじめはこの言葉に対して別になんとも思わなかった。でも小説を読み終わっても、なぜか頭の片隅残っていた。

こんなに脱力したモットーがあっていいのか。笑

でもこの脱力感が社会人になるかなったかくらいの時期の自分には救いだった。

まあゆっくり歩いてたくさん水を飲んでおけばいいか、という気持ちになる。

 

そういえばこれは最近よく気になっているんだけど、歩く早さってどうやって決まるんだろうか。身体能力?歩く速さそのものとして遺伝?心拍数が関係してたりするかもしれない。

足の長さ、つまり歩幅の大小はあまり関係ない気がする。

歩幅が小さくてもスタスタと早く歩く人もいるし、実際うちの母は背が小さいのにめちゃくちゃ歩くのが早い。

自分自身、結構歩くのが早いと自負しており、人の流れが遅くてもどかしかったり、人と歩くともっと早く歩きたいなあと思いつつ合わせたりする(実はお互いそうしているかもしれない)のだが、母と並んで歩いていると着いて行くのがやっとなくらい、母は歩くのが早い。身長差約20センチはあるのに。

となると、遺伝なのだろうか。あるいは育つ過程で親の歩くペースが子のペースとなっていくのか。ともかく人によってまちまちなのは本当に不思議だ。

 

1人暮らしを始めて2か月、社会人になって1か月経ったが、これからずっとこの生活が続くのかと既にうんざりしている。

毎日昼に起きて、やりたいことだけやって、元気なまま夜を迎えるあの日々が、社会人が喉から手が出るほど欲しい時間だということを、自らが社会人になるまで知りえないというのは残酷だ。

家賃は高いし光熱費の節約はストレスなので経済的な余裕が全くないが、どうあがいてもすぐに収入を増やせるわけではないので、あきらめてゆっくり歩き、たくさん水を飲みながら生活をこなそう。

 

 

大学卒業したので書きなぐってたら回顧録になってしまった

やっと、といっても1年休学で伸びただけで、もっと長く在学する人はたくさんいると思うが、自分にとっては長い5年間だった。

 

不思議な期間だった。長いようであっという間で、何もなかったようで色々あった。

色々な人に会ったし、色々な場所に行ったし、色々な事を知った。あらゆることの幅が高校までとは全然違った。自由と責任なんてありきたりな言葉の意味もじわじわと実感させられた。目で見える形で提示できるような成果は出せなかったけれど、多くのものを得たことは確かに実感できる5年間だった。

きっと大学を通して振り返ることなんてそうそうないので、これを機に書き残しておこうと思う。

 

 

1年生は、バスケのサークルに入るも活動場所が東京なのがめんどくさすぎて全然いかないうちにすぐ馴染めなくなり幽霊部員になった。

バイトを始めたけど初めてなのにめちゃくちゃ厳しいうえに客もスタッフも外国人めっちゃ多い六本木のレストラン(しかも学校近くだったので家から遠い)に入ってしまい、大学も始まりたてなので毎日全然楽しくなく、ストレスで胃が痛い日が結構あった。バイトがある日は前日の夜から気分が沈んでいた。

ただなぜか辞めるという選択肢が頭になく、3か月続けた夏休み直前の7月、休みの日に六本木まで行くのだる過ぎない?辞めよう!!と思い立った。

あの瞬間がなかったらもっと長い間無意味に苦しんでいたんだろう…

簡単にはやめさせてくれなそうな店長だったので親戚が病気で…と言ったら根掘り葉掘り聞かれ、その人はガンで、店をやってるので手伝わないといけなくて…みたいなすごいウソをついた。あれは今のところ人生最大のウソかもしれない。

今思うと、辞めるという選択肢が浮かばないというのはブラック企業で働く人の心理の一つを垣間見ていたのかも。それまで部活しかやってこなかったからというのもあると思う。

 

1年の終わりに、サークルで同学年だけの合宿をやるから普段来れてない人も来ないかと誘われてはじめて合宿なるものに行った。

バスでの移動、昼間のレクリエーション、みんなでご飯作って食べお風呂に入る、など結構楽しく、サークル楽しいかも?と、思っていた。

思った矢先だった。

飲み会するよーと連れていかれたのは一面ブルーシートが敷かれ、部屋の四隅には業務用のごみ箱みたいな、路地裏によく置いてあるような、トムとジェリーでトムが着地するような、あの青いポリバケツ。

数人ごとのグループでひたすらゲームをして負けた人に飲ませ、時折誰かがポリバケツに吐きにいきなぜかまた輪の中に戻る。なんと最悪な輪廻。ゲームのルールなんてわからず流れを止めるため自分ばかり飲まされるあの地獄のようなクソ空間の中で「あ、サークルやめよ」と思ったのをよく覚えている。なにかを辞めるときはいつも突然思い立つのだ。

あんな何も考えてないバカどもと一緒にいたらどうなっていたかと思うと悪寒がする、昼間まで楽しくていいやつだったのになんであんなクソみたいな人間になってしまうのか…

ちょっと荒れてしまった。大学1年はあまりいい年じゃなかった。凄く高校に戻りたかった。高校の友達と会ったときは本当に心から楽しかった。

 

 

 

2年生は、仲の良い(良かった)友達もできてきて、遊びに行ったりと大学たのしいかも~な時期だった。特に大きなこともなかったけどいろんなとこ遊びに行ったし一番大学生っぽい期間だったかもしれない。

あ、成人したな、5年ぶりくらいに中学の人たちと会った。大半はもう一生会わないんだろうけど、そこからまた継続的に合うようになったひとが何人かいる。貴重な友達、大事にしたい。

二年の終わりの春休みにはイタリアに行った。10日間も滞在した。大学生活でも一大イベントのひとつだった。イタリア旅行の内容についてはこの先何回も思い返す機会あるだろうから詳しく書かないけど、本来は安く海外行きたくね?という話で韓国に行くつもりだった。それがどうせならもっと異国がいいと極東ロシアになり、どうせならとトルコになり、どうせならとヨーロッパになり、ギリシャとイタリアで迷いイタリアになった。

なんで?????????

イタリアに行った時には、アートに今ほど興味がなかったので、興味を持ちいろいろな絵や彫刻を知ってからもう一度イタリアに行きた過ぎる気持ちを抱えて就職することとなってしまった。

 

 

 

三年生は夏に少し就活をした。やりたいことがなさすぎるのでせめて早めに動くだけでもしておこうと、インターンを探し、いくつか応募した。就活につながればと思い長期インターンに焦点を当てていたんだけど、ダメ元でとりあえず応募していた楽天の長期インターンの選考になぜか通り、2次、3次選考も通り最後の選考会みたいのに行った。通過のたびにびっくりしてた。選考会にはあきらかに賢そうな高学歴たちがたくさんいて萎縮しまくってたけど頑張った。俺は「普通」が取り柄なんだと。結局長期インターンには受からなかったけど、次点の短期インターンの参加権をもらった。本就活にはなにも繋がらなかったけど、なにもない自分がよくもまあ楽天インターンに通って国立大やら早慶の人たちとディスカッションやグループワークをしたものだと、今振り返ると自信になるいい経験だったと思う。

この夏の就活を通して、進路についてまじめに考えるようになり、あまりにもやりたいことがないので休学をかんがえることになって残りの半年間悩み続けたが、結局休学することにした。

 

三年生が終わり始まった一年間の休学の目的は、ただの海外旅行だった。前半でバイトしてお金を貯め、北欧にお金の許す限り滞在してやろうという雑な計画だった。

前にも書いた内容なので省くが、結局この年の春にコロナが流行って、計画は頓挫、萎えてだらだら過ごしながらも、何かやらなくちゃと始めたのがプログラミングで、これがきっかけで今のエンジニアの進路を考え始めた。

休学の一年は何もできなかったけど、自分の人生にとって大きな意味を持つ一年になった。海外も、行けなくなってむしろ良かったのかもしれない。ひとりで海外を放浪する経験もきっと良い思い出になっただろうけど。

 

 

 

休学明けの四年生、成り行きで始まった就活はエンジニア志望で結構頑張った。入社する会社の内定がもらえそうになると一気にやる気をなくし、内定を機に六月で就活を終わらせた。

もう同学年の数少ない知り合いも卒業してしまっていたが、一人だけ留学で卒業がずれ、自分と同じタイミングで四年になる友達がいたのは本当に救いだった。同じゼミに入ったら、そこで何人か仲良くしてくれる人もできた。一年の短い付き合いの中で、気の合う仲間たちをまた新たに得ることができたのは本当に恵まれてるしこの繋がりは大事にしよう。真に気の許せる友人が数人いればそれでいい、恵まれている。

休学から四年生を終えるまでの二年間が、一番学びに対するモチベーションが高まった時期だったのは悔やまれることの一つ。

休学してボーっとしていると、あんなに面倒だった大学の授業も興味が沸いてくるもので、休学明けはいろいろな授業を取った。でも一年じゃ限界があるし、就活も邪魔だった。もっと早くこのモチベーションを得られていたらと思うと悔しい。

貴重な機会は失ったけど、時間はこれからまだまだあるし、学びたいことはどんどん学んでみよう。仕事に、人生に役立たないとしても。

 

 

大学では本も読むようになった。ペースはゆっくりだけど、楽しんで読めるようになった。本を読んでいるとその中で出てくる別のことについて興味を持ち、それがどんどん派生して広がっていく。アートが題材の小説を読んで美術館に行くようになったし、主人公が丁寧にコーヒーを淹れるシーンを読んでコーヒーを淹れるようになった。ミーハーと言われればそれまでだけど、そうやっていろんな新しいものに触れるのは楽しい。自分は没個性的な人間なので、どんどん影響されてどんどん変わってしまえばいいと思っている。人は変わる、それも大学生活で知ったことの一つ。

 

 

自分には何事も始まりは意気込んで頑張ろうとするけど、すぐにだらけて日々に飲まれてしまう性質があるのはもう自覚しているので、学生ほど明確な節目のないこれからの人生はなおさら、気づいたらだらだらと毎日を過ごしているということもあるだろうなといまから危惧している。

でも先なんて読めないので、とりあえずどうにかして好きなことができる時間と金、心の余裕だけは守っていこう。あと親への恩と奨学金は返そう。最後標語みたくなっちゃったな。

返しましょう。親への恩と、奨学金

 

 

近況

めちゃくちゃさぼってしまった。

前に書いたのは二月のはじめなので、約二か月、、あっという間に過ぎてしまった。

あれから引っ越しの準備を進めたりなんやかんやして3月の初めに引っ越した。

もう一か月経つの…?

 

1人暮らしは、はじめ実感がわかず、実感がわかないまま慣れてきてしまった。

正直あんまり記憶がない。ただ、「生活」することに思っていたよりも時間を取られることに驚いた。早起きとまでは言えないまでも、午前に起き、洗濯をしてご飯を食べ、掃除をして買い物に行き、帰って夕飯を作り(これに特に時間がかかっている)、食べて風呂に入ったらもう22時過ぎてたりするので「???????」となる毎日だった。

仕事と家事(4人分)をどちらもこなしてきた母には頭が上がらない。凄すぎる。

 

そんな感じで、優雅に自分の時間を楽しむようなことはあまりできていないのだが、一人暮らし自体は案外楽しめている。すぐ実家に帰りたくなるかと思っていた。

 

家具が一つずつそろっていって、部屋が部屋らしくなっていくのはとても楽しいし、収納や調理器具などを増やしていくのも楽しい。100均でこれ使えるかも、と商品を物色したり。

 

自炊も、食べたいと思ったもののレシピを調べ作ってみたりしてるので楽しめている。

美味しくできてもそれを誰にも食わせられないのが残念ではあるけど。

仕事が始まったらそんな余裕もなくなるのだろうか。

 

この間はずっといいのが見つからず買えていなかった本棚をようやく決めて、ひとりで1時間半かけて組み立てた。本が増えてもいいように大きめに買ったのでまだ余裕がある。自分の思うように本を分けて並べ、眺め、喜んだりしている。

 

今日は大学の卒業式だったんだけど、それについてはまた別で書こうと思っている。

 

とにかく人生で一番環境が変わる時期だ。それぞれに考えを巡らせる暇もないままどんどんと時間が過ぎていくので、常に何かし忘れているような、落ち着かない焦りのようなものを感じている。

 

あと1週間したら今度は仕事が始まる。これもまた実感がわかない。

入社までにしておこうと思ったことが全然できていない。

 

この先も一生、いろいろなことをやり残しながら生きていくんだろうけど、後悔しないように今を精一杯に生きよう、なんて殊勝な心掛けを維持できるのは俺には3日が限度なので、節目ごとにこうして何かに後悔していると思う。

でも、最近気づいたんだけど自分は実は自分で思っているほどネガティブじゃなくて、楽天的なのかもしれない。期待しない分あきらめるコストがかからないだけか…

 

さっき少し日本酒を飲んだのもあって、なんかこうして年明けから振り返っちゃうと感傷的になってくるな…。あっという間だったなあ、もっとすべきことはあったんじゃなかろうか。卒業前の最後の春休みだったのにどこに行ったわけでもない。

やめよう、とりあえず怒られないように、吉良吉影のように平穏に社会人を継続することに集中しなければならない。

 

春は本当にいい季節ですね。

年明け初。

前に書いたのは確か年末の憂鬱期間だった。あれから無事に年を越して無事に新年頑張るぞ、の気持ちを持てています。

卒論がない学科なので、この前大学の最後のレポートたちを提出して、あとは卒業を待つのみになった。(単位がちゃんと取れてれば)

大学のレポートなんて、めんどくさいだけの存在だったけど、四年になってからは結構頑張って書いていた。

レポート残り3つくらいから、一つ書き上げるたびに大学が終わりに近づく実感があって変にさみしさを感じた。最後のレポートが終わったときは、おわちゃったな~~と少しの間感慨深くなっていた。

大学3年が終わったタイミングで1年間休学して、そのタイミングでコロナが流行って何もできなかったわけだけど、就活のことやらその先のことやら考えたりして興味のあるものも少しずつ増えた中、大学からも1年も離れるとモチベが沸いてくるもので、4年に復学してからは結構やる気満々でいろんな授業を受けていた。

ようやく大学楽しいと思えてきたタイミングでもう終わってしまうのが結構悔しくて、もっと興味のある授業聞いてみたかったとか、もっといろんな大学教授と絡んでみたかったとか後悔がある。1~3年無駄遣いしたなあ。

将来、お金をたんまり貯めたら仕事辞めて大学に入りなおすのも、ありだなと思っている。

 

この前、一人暮らしをする新居のカギを受け取ってきた。

自分の部屋となってからはじめて部屋に入って、何もない薄暗い部屋に座ったら何かしら感じるかなと思っていたけど、そうでもなかった。必要な採寸と確認だけして、部屋を出て鍵を閉めた。同じアパートのどこかの住人と鉢合わせて、気まずい挨拶をした。

とはいっても、一人暮らしを始めることについては人並みに浮かれている。

部屋から駅までの道を眺めながら、この店に行ってみよう、ここで買い物できるな、とかいろいろ考えるし、自分の物を増やしていくのが楽しみ。

今は手続きやら、家具選びやらで楽しみと同じくらい面倒な気持ちがあるけど、早く準備を終わらせて生活するぞ、あの土地で。

 

練馬区の民となるので、近くに来たら声かけてね。

年末から逃げるな

今年も年末。毎年言ってるけど年末は憂鬱だ。今年も特に何もできずに終わってしまうな~と勝手にへこんでしまうので、あんまり締めくくりの雰囲気出さないでほしい。

まあでも今年は少しは頑張ったんじゃないかな、就活あったし…と思ったが、内定をもらったのももう半年前。半年何してたっけ?

とにかく4月からは社会に出る。実家も出る。年が明けたら家を探さないといけない。

当たり前だけど、不安だらけだ。

冷凍パスタを温めることすらめんどくさくて、夕飯まで何も食べないような自分がまともな生活を送れるのか…

週2の授業以外好きに時間を浪費している自分が週休わずか2日の生活に耐えられるのか…

一人暮らしの楽しみももちろんある。極度にインドアな人間にとって自分の空間はとても大切。とりあえずでっかい本棚を置きたい。スライド式で大量に入るやつとか良い。そんなに入れる本はないけど、いくら増えても安心。

 

そういえば大学のそばに青山ブックセンターって本屋があるんだけど、この前初めて行ってみたらすごい広くて本も多くて楽しかった。前々から案内の看板は見てたけどどこにあるのかいまいちわからず行ったことがなかった。

もっと早くから来ていれば…と思いつつ、目的の本を見つけてから色々見て回ってたら気になってた本とか結構見つけて気づいたら8000円分くらい買ってた。

その中の一冊は2000ページくらいある辞書みたいな本なのもあって、紙袋はめちゃくちゃ重かったんだけど、肩こりながら持って帰る中でその本たちの重さに、買い物をして帰るときのホクホク感というか…そういう幸福感があって、なんか1人でも割と幸せに暮らせるんじゃないかって根拠のない自信がわいた。

たまにでいいから好きな本をまとめ買いできるくらいの収入は欲しいね。欲を言えば猫を2匹養えるくらいあれば文句はない。