サメと猫

諸行無常

俺は基本、文化的に生きられる限りずっと死にたくないと思っているんだけど、この前会社に向かう道中、ふと自分がずっと心身健康でいられる保証なんてなくて、何かで腕を失ったり、歩けなくなるかもしれないと想像した。そして、そうなること自体よりも、その先も生き続けることに恐怖を感じた。今までできていたことが一度にできなくなる恐怖。物理的、精神的喪失に自分は耐えられるのだろうか。

その恐怖は、死に対するそれよりも遥かに近く迫るように感じられ、想像自体に抵抗感が伴った。単純に、死よりもイメージしやすい、現実性のある想像だからだろう。(実際にはどちらも可能性的には変わらないのかもしれない)

今思い返すとあまりしっくりこないのだけど、もし体の一部を失ったらという想像で気分が落ち込み始めたその時、そうなったら死のう、と思った。気持ちが楽になった。死ねば喪失を味わわずに済むんだ。

あまりに軽率な考えだ、自分でもどうかと思う。まともな人に話せばすぐに複数の観点で叱られるだろう。だけどその時の自分にとっては、なにやら目前に迫るような恐怖をすっと心から取り去ることのできる新たな発想のような感覚だった。

実際にそんな状況が自分に訪れた時、死を選ぶことができるのかといわれれば、多分(絶対)できないと思う。弱い人間なので、相変わらず死にたくないと思う。生きるのが辛くとも、死ぬのは怖い。

それは先に書いた変な発想をしたすぐ後になって冷静に考えたことであり、自分は死の救済的な側面だけを利用して自分の心を誤魔化したんだなあと実感し、それがとても不健康な方向だと思いつつ、でも少し逞しさを感じたりして、なんとも言えない気持ちで歩いていたら会社に着いた。