サメと猫

大学卒業したので書きなぐってたら回顧録になってしまった

やっと、といっても1年休学で伸びただけで、もっと長く在学する人はたくさんいると思うが、自分にとっては長い5年間だった。

 

不思議な期間だった。長いようであっという間で、何もなかったようで色々あった。

色々な人に会ったし、色々な場所に行ったし、色々な事を知った。あらゆることの幅が高校までとは全然違った。自由と責任なんてありきたりな言葉の意味もじわじわと実感させられた。目で見える形で提示できるような成果は出せなかったけれど、多くのものを得たことは確かに実感できる5年間だった。

きっと大学を通して振り返ることなんてそうそうないので、これを機に書き残しておこうと思う。

 

 

1年生は、バスケのサークルに入るも活動場所が東京なのがめんどくさすぎて全然いかないうちにすぐ馴染めなくなり幽霊部員になった。

バイトを始めたけど初めてなのにめちゃくちゃ厳しいうえに客もスタッフも外国人めっちゃ多い六本木のレストラン(しかも学校近くだったので家から遠い)に入ってしまい、大学も始まりたてなので毎日全然楽しくなく、ストレスで胃が痛い日が結構あった。バイトがある日は前日の夜から気分が沈んでいた。

ただなぜか辞めるという選択肢が頭になく、3か月続けた夏休み直前の7月、休みの日に六本木まで行くのだる過ぎない?辞めよう!!と思い立った。

あの瞬間がなかったらもっと長い間無意味に苦しんでいたんだろう…

簡単にはやめさせてくれなそうな店長だったので親戚が病気で…と言ったら根掘り葉掘り聞かれ、その人はガンで、店をやってるので手伝わないといけなくて…みたいなすごいウソをついた。あれは今のところ人生最大のウソかもしれない。

今思うと、辞めるという選択肢が浮かばないというのはブラック企業で働く人の心理の一つを垣間見ていたのかも。それまで部活しかやってこなかったからというのもあると思う。

 

1年の終わりに、サークルで同学年だけの合宿をやるから普段来れてない人も来ないかと誘われてはじめて合宿なるものに行った。

バスでの移動、昼間のレクリエーション、みんなでご飯作って食べお風呂に入る、など結構楽しく、サークル楽しいかも?と、思っていた。

思った矢先だった。

飲み会するよーと連れていかれたのは一面ブルーシートが敷かれ、部屋の四隅には業務用のごみ箱みたいな、路地裏によく置いてあるような、トムとジェリーでトムが着地するような、あの青いポリバケツ。

数人ごとのグループでひたすらゲームをして負けた人に飲ませ、時折誰かがポリバケツに吐きにいきなぜかまた輪の中に戻る。なんと最悪な輪廻。ゲームのルールなんてわからず流れを止めるため自分ばかり飲まされるあの地獄のようなクソ空間の中で「あ、サークルやめよ」と思ったのをよく覚えている。なにかを辞めるときはいつも突然思い立つのだ。

あんな何も考えてないバカどもと一緒にいたらどうなっていたかと思うと悪寒がする、昼間まで楽しくていいやつだったのになんであんなクソみたいな人間になってしまうのか…

ちょっと荒れてしまった。大学1年はあまりいい年じゃなかった。凄く高校に戻りたかった。高校の友達と会ったときは本当に心から楽しかった。

 

 

 

2年生は、仲の良い(良かった)友達もできてきて、遊びに行ったりと大学たのしいかも~な時期だった。特に大きなこともなかったけどいろんなとこ遊びに行ったし一番大学生っぽい期間だったかもしれない。

あ、成人したな、5年ぶりくらいに中学の人たちと会った。大半はもう一生会わないんだろうけど、そこからまた継続的に合うようになったひとが何人かいる。貴重な友達、大事にしたい。

二年の終わりの春休みにはイタリアに行った。10日間も滞在した。大学生活でも一大イベントのひとつだった。イタリア旅行の内容についてはこの先何回も思い返す機会あるだろうから詳しく書かないけど、本来は安く海外行きたくね?という話で韓国に行くつもりだった。それがどうせならもっと異国がいいと極東ロシアになり、どうせならとトルコになり、どうせならとヨーロッパになり、ギリシャとイタリアで迷いイタリアになった。

なんで?????????

イタリアに行った時には、アートに今ほど興味がなかったので、興味を持ちいろいろな絵や彫刻を知ってからもう一度イタリアに行きた過ぎる気持ちを抱えて就職することとなってしまった。

 

 

 

三年生は夏に少し就活をした。やりたいことがなさすぎるのでせめて早めに動くだけでもしておこうと、インターンを探し、いくつか応募した。就活につながればと思い長期インターンに焦点を当てていたんだけど、ダメ元でとりあえず応募していた楽天の長期インターンの選考になぜか通り、2次、3次選考も通り最後の選考会みたいのに行った。通過のたびにびっくりしてた。選考会にはあきらかに賢そうな高学歴たちがたくさんいて萎縮しまくってたけど頑張った。俺は「普通」が取り柄なんだと。結局長期インターンには受からなかったけど、次点の短期インターンの参加権をもらった。本就活にはなにも繋がらなかったけど、なにもない自分がよくもまあ楽天インターンに通って国立大やら早慶の人たちとディスカッションやグループワークをしたものだと、今振り返ると自信になるいい経験だったと思う。

この夏の就活を通して、進路についてまじめに考えるようになり、あまりにもやりたいことがないので休学をかんがえることになって残りの半年間悩み続けたが、結局休学することにした。

 

三年生が終わり始まった一年間の休学の目的は、ただの海外旅行だった。前半でバイトしてお金を貯め、北欧にお金の許す限り滞在してやろうという雑な計画だった。

前にも書いた内容なので省くが、結局この年の春にコロナが流行って、計画は頓挫、萎えてだらだら過ごしながらも、何かやらなくちゃと始めたのがプログラミングで、これがきっかけで今のエンジニアの進路を考え始めた。

休学の一年は何もできなかったけど、自分の人生にとって大きな意味を持つ一年になった。海外も、行けなくなってむしろ良かったのかもしれない。ひとりで海外を放浪する経験もきっと良い思い出になっただろうけど。

 

 

 

休学明けの四年生、成り行きで始まった就活はエンジニア志望で結構頑張った。入社する会社の内定がもらえそうになると一気にやる気をなくし、内定を機に六月で就活を終わらせた。

もう同学年の数少ない知り合いも卒業してしまっていたが、一人だけ留学で卒業がずれ、自分と同じタイミングで四年になる友達がいたのは本当に救いだった。同じゼミに入ったら、そこで何人か仲良くしてくれる人もできた。一年の短い付き合いの中で、気の合う仲間たちをまた新たに得ることができたのは本当に恵まれてるしこの繋がりは大事にしよう。真に気の許せる友人が数人いればそれでいい、恵まれている。

休学から四年生を終えるまでの二年間が、一番学びに対するモチベーションが高まった時期だったのは悔やまれることの一つ。

休学してボーっとしていると、あんなに面倒だった大学の授業も興味が沸いてくるもので、休学明けはいろいろな授業を取った。でも一年じゃ限界があるし、就活も邪魔だった。もっと早くこのモチベーションを得られていたらと思うと悔しい。

貴重な機会は失ったけど、時間はこれからまだまだあるし、学びたいことはどんどん学んでみよう。仕事に、人生に役立たないとしても。

 

 

大学では本も読むようになった。ペースはゆっくりだけど、楽しんで読めるようになった。本を読んでいるとその中で出てくる別のことについて興味を持ち、それがどんどん派生して広がっていく。アートが題材の小説を読んで美術館に行くようになったし、主人公が丁寧にコーヒーを淹れるシーンを読んでコーヒーを淹れるようになった。ミーハーと言われればそれまでだけど、そうやっていろんな新しいものに触れるのは楽しい。自分は没個性的な人間なので、どんどん影響されてどんどん変わってしまえばいいと思っている。人は変わる、それも大学生活で知ったことの一つ。

 

 

自分には何事も始まりは意気込んで頑張ろうとするけど、すぐにだらけて日々に飲まれてしまう性質があるのはもう自覚しているので、学生ほど明確な節目のないこれからの人生はなおさら、気づいたらだらだらと毎日を過ごしているということもあるだろうなといまから危惧している。

でも先なんて読めないので、とりあえずどうにかして好きなことができる時間と金、心の余裕だけは守っていこう。あと親への恩と奨学金は返そう。最後標語みたくなっちゃったな。

返しましょう。親への恩と、奨学金